2016年9月28日水曜日

007スぺクター

原題:spectre
2015年作品

メキシコで物語は始まる。

始まって数分で
スリリングでエキサイティングな展開に。

次はロンドン。
次はローマ。
次はオーストリアの雪山。

次のモロッコのタンジールは
とても夜景がきれいな所。

痛快なアクションと
旅行好きには堪らない世界各地の名所。

しかも話の裏側というか
ストーリーが他のアクション物に比べ深い。

やっぱり007シリーズは最高。


ただ、
危機一髪というか絶体絶命のピンチからの
大逆転は若干あっさりすぎた。

また、針を脳か神経だかに刺されて
視覚を失う?女性か男性か認識できなくなる?
はずだが、ボンドガールのことを認識していた。

大逆転があっさりしていたのは
死んでいたはずの兄がロンドンに来て
ボンドガールをピンチに追い込む伏線だったから、
と最後に分かるのだが。

それと、Cの死に方も
なんか間抜けというかアッサリすぎか。

でも面白い。
何年か後に、また観てみると
初回に気付かなかった発見もあるのが
007シリーズなので、
いつか観てみよう。


なお、今回もアマゾンプライムビデオで。

今年7月に私のアカウントのプライム会員は切れたが
8月から妻名義のアカウントで改めて入会したので。

週1ペースで映画観ようと
昨年11月に思っていたが
いろいろあってアレ以来ほとんど観てなかった(汗)

今年の初夏、ふと恐い映画を観て涼もうと
リング2を観てみたがツマラナイので
ここにレビュー書く気が起こらなかった、という程度。

興味あるけど観てない映画が沢山あるんで
また頻繁に見ようと思う。

2015年11月14日土曜日

ミッション:インポッシブル/ゴーストプロトコル

原題 mission-impossible ghost protocol
2011年作品 2:12:55

アマゾンのプライムビデオで見ました。
プライム会員なら無料で見放題。
これからは週一ペースで観ていこうと思います。

年会費3900円の値打ちありますが
来年も継続入会するかどうか微妙なので。

内容は、
最初からスリリングな展開で飽きません。
スパイ物はこうでないと。

昔から007などスパイ物が好きで、
機会があればMIシリーズも観るようにしてますが
なぜかMIシリーズはあまり観てない。
今日観たのも含めて、やっと3作品目かな。

全部で4作品だろうか?
あまり記憶がない。

ブダペストで始まり、モスクワに移り、
ドバイ、インド、最後が米国シアトル。

ドバイ以外、全部海外旅行で行った事ある国で
懐かしさもこみ上げて来ました。

ドバイの超高層ホテルから飛び降りるシーンは圧巻。
CG合成だろうけど、それでも面白い。

ゴーストプロトコルの意味は
米国政府が認めるCIAの任務に比し、
IMFの任務は米国が関知しない建前になっている。
即ち、失敗して捕まっても誰も助けてくれない、
そういう「取り決め」である、との意味。

最後の、イーサンの妻(元妻?)と
遠くから微笑みを交わすシーンがよくわからない。
前作を見てない(または忘れた)ので。

妻は大男と一緒に腕組んで歩いて、
一緒に店に入っていったのだが。

プライム会員のうちに全シリーズ制覇して、
007もあったら極力全部観るようにしようか。

トムクルーズが老けたのは仕方ないか。
私が大学生の時、トップガンがヒットしたって事は
あれから30年近いからな。

鑑賞後、ウィキペディア参照すると、
既に2回も日本の地上波で放映されてたのか。
知らんかった。

それと今サイトに入ると、
2015年最新作「ローグネイション」は
プライム会員でも有料でした。

要注意。

2015年4月21日火曜日

信仰と狂気

著者は某キリスト教系大病院の医師。

この文章は書籍として販売されてないので
「てんとうむし Vol.73 2015.4」
から全文を転載。

著者は敬虔なキリスト教信者ですので
著作権を主張することはないでしょう。

なぜなら、良い事をお書きになっていて
世界中の人々に読んでほしいと思っているはずなので。

以下。


旧約聖書には、
イスラエルの父祖であるアブラハムが、
主の命により、
最後の一人息子を焼き尽くし、
献げ物として主に差し出そうとする物語がある。

倫理的には、人を殺すことは許されないだろうが、
信仰とは、
目に見えない神と、神の愛を絶対的に信ずることであり、
アブラハムの行為は、信仰上では義とされている。

 ユングは、神は善と悪を持つ二律背反的存在であり、
人は神の投影であるから、神に悪が存在することは、
どんな人間にも心の中に悪が存在すると説く。

事実此れまでの宗教は、異教徒に対して排他的であった。

信仰も教条主義(狂信主義)にとらわれると、
宗教的信念のもと、喜び勇んで徹底的に悪を行うことになる。

かつて十字軍は、イスラム教徒に対し、殺戮、略奪を行った。

中世では魔女狩りの名において、一般人に火刑、斬首が行われた。

帝国主義時代には、宗教を先兵とし、先住民を虐殺して植民地とし、
更に白人国家を打ち立てた。

今、イスラム原理主義、過激派「イスラム国」にも同様な現象がみられる。

 しかし宗教は、現世的利益をもたらすことが目的でなく、
本質的には魂の救済を目指すことにある。

自己を捨て、神への絶対的信頼は、絶望のどん底にある人に、
光と希望、歓びと心の安らぎを与え、奇跡という出来事も出現する。

キリスト教であれ、イスラム教であれ、仏教であれ、
教祖が思いをこめて訴える内容は、
人々の共感を呼ぶものがある。

我々は、宗教の原点に回帰すべきである。

 宇宙飛行士の言葉は、これからの信仰、宗教を考える上で示唆に富む。

 「宇宙体験は、私の信仰を一層強めてくれた。アラーもブッダも
同じ神を別の目より見たときにつけられた名前にすぎない」

「宇宙より地球を見ると、そのあまりの美しさに打たれる。
こんな美しいものが、偶然の産物として生まれるはずがない。
ある日或る時、偶然にぶつかった素粒子と素粒子が結合して、
偶然にこういうものができたとは絶対に信じられない」

以上。


私の感想は以下の通り。

著者は良いことをお書きになっている。
が、具体的解決策は何も書かれてない。

現代の宗教とは、そういうもの。

2000年前の教祖様は
解決策をお示しになっていたのかもしれないが。

例えば・・・自分は善人でも、
全てをぶち壊しにする悪しき隣人を
どう諌めるのか。

釈迦の言葉に「汚い物は見るな」
孔子の言葉に「君子危うきに近寄らず」
(言ったのは孔子ではないらしいが)

これを忠実に守るだけ?

でも、悪しき隣人の方から近付いて来たら、
我々はどうすればよいのか。

殴られても、盗まれても、
奴らは汚い物だから見なければそれで済むのか?